indigo elegie

覚悟して #3

「ふん、異常なしだな」
 カルデアの医務室で、アスクレピオスが肩を竦めて言った。レイシフトから帰還したわたし達はまずメディカルチェックを受けた。魔力の消耗、体調の変化などを調べ、異常なしと判断されればようやく一息つける。
 マシュはダ・ヴィンチちゃんのところ、先にメディカルチェックを終えたカドックは報告のため管制室へと向かい、今ここにはわたしとアスクレピオスしかいない。
 一通りのチェックを終え、問題なしとの結果にアスクレピオスは面白くなさそうに鼻を鳴らす。つまらん、と続ける彼に苦笑した。
「だが、やや疲労が見られるな。十分な睡眠と適切な食事をとるように。以上だ」
「うん。ありがとう」
 アスクレピオスに礼を言って、医務室をあとにしようと立ち上がったところで「待て。マスター」と呼び止められた。振り返ってみると、アスクレピオスがじっとこちらを見つめている。
「なに?」
「……」
 なにか言いたげな、でもそれを口にしないアスクレピオスに首を傾げる。医療に関しては容赦ないところがある彼は言うべきことは必ず口にしてくれる。言いよどむなんて珍しい。
「どうかした?」
「いや、何でもない。……お大事に?」
 ようやく口を開いた彼は首を振ると、それ以上は何も言ってはくれなかった。含みをもたせたような言葉を疑問に思いつつ、今度こそアスクレピオスに挨拶をして医務室をあとにした。
 通路に出て管制室の方へ向かうと、カドックが反対方向から歩いくるのが見えた。視線がぶつかると彼は足を止め、わたしの方へと歩み寄ってくる。
「あれ。どうしたの?」
 管制室へ報告に向かったはずでは。そう訊ねれば、カドックは気まずそうに視線を泳がせて静かに目を伏せた。
「アスクレピオスに呼ばれた」
「そうなの?」
 カドックもメディカルチェックに問題なかったって聞いてるけど何かあったのかな。でも彼はそれについて触れようとしない。
 会話が途切れ沈黙が二人の間を漂う。じっと顔を見つめられていると、なんだか落ち着かない気分になってくる。
「体に異常は?」
「ないって。大丈夫だよ」
「そうか」
 そう言って、頰をむにっとつままれる。そのまま優しく撫でられたかと思うと、すっと離れていった。
 え……? 
 突然の行動に、ぽかんと口を開けたまま固まる。
「じゃあ、また管制室で」
 それだけ言うと、カドックはわたしの返事も聞かずに去っていった。通路に立ち尽くすこと数秒、ハッと我にかえって歩き出す。
 な……なに今の!?
 カドックって、本当に……時々こう、前触れもなくドキドキするようなことしてくるから困る。わたしに対する態度や接し方が前より変わってきた気がするし。
 熱い頬を両手で押さえて足早に管制室へと向かった。

 ***

 管制室で今回のレイシフト結果を報告し、次いでいくつか確認事項についてのやり取りを終える。ゴルドルフ新所長からは労いの言葉と小言をいただいた。
「今回のレイシフトは想定外のことが多かった。幸い大きな問題もなく無事に帰還してくれたことは喜ぶべきだが、今後同じようなことが起きないとは言い切れん。対策を立てておく必要もあるだろう。とはいえ、まずは体を休めることだ。えー、医療班から進言があり、君たちには四十八時間の休養を言い渡す。あとレポートは後日遅れずに提出するように。 以上!」
 そう締めくくって一旦解散となった。各自持ち場に戻るため管制室を出ていく。マシュと一緒に管制室から出ようとすると、ダ・ヴィンチちゃんから呼び止められた。
「あぁ、ごめんマシュはちょっと残ってくれるかな。少し確認しておきたいことがあってね」
「はい。わかりました」
 すみません先輩、と申し訳なさそうに言う彼女に「じゃあ、またあとでね」と手を振り、管制室の出口に向かう。視界の端に、シオンと何か会話を交わしているカドックが見えた。こちらを気にする様子もなかったのでそのまま退室した。
「さて……」
 ひとりになったところで、うーん、と腕を伸ばす。これからどうしようかな。とりあえず部屋に戻ってシャワーを浴びる……いや、その前に何か食べたいかも。歩きながら考えて、結局食堂に向かうことにする。
 カルデアの食堂には数人の職員とサーヴァントがいる程度で、いつもより閑散としている。挨拶を交わしつつカウンターへと向かった。
「エミヤ、お疲れ様」
「やあ、マスター。遅い昼食かな」
「うん、そう。軽めで何かお願いしてもいい?」
「了解した。サンドイッチでいいかね」
「お願いします!」
 笑顔で返せば、エミヤも口角を上げる。手際よく準備されていくサンドイッチを見守りつつ、ぼんやりしていると後ろに気配を感じた。振り向くとケイローン先生が立っていて、目が合うと静かに微笑んでくれる。
「こんにちは、マスター」
「あ、先生。こんにちは」
 先の微小特異点では随分お世話になった。サーヴァントとしての実力はもちろん、知略と戦略に優れた彼はわたしにとって頼りになる存在である。挨拶を交わすと、先生は厨房にいるエミヤに声をかけた。
「私もマスターと同じものいただけますか?」
「承知した」
 エミヤからサンドイッチを受け取り、連れ立って食堂の端に席に向かい合って腰掛けた。いただきます、と手を合わせてからサンドイッチを頬張る。トマトの酸味とシャキシャキとしたレタスの食感が絶妙だ。パンはもっちりしてて美味しい。エミヤお手製サンドイッチを堪能していると視線を感じた。顔を上げると、先生が穏やかにこちらを見つめていることに気づき、口の中のものをゴクンと飲み込む。
「どうかした?」
「美味しそうに食べていらっしゃるな、と思いまして。すみません。じろじろと不躾でしたね」
 ふふ、と笑って謝られる。別に謝るようなことでもないので「エミヤのご飯が美味しいからね」と返した。
「レイシフト中はバランスの良い食事とかってなかなか難しくて。美味しいごはんを食べられるの幸せなことだなって思うよ」
「なるほど。それはたしかに」
「今回はカドックが色々やってくれて助かったなぁ」
 野営の準備やら保存食の用意やら、カドックが手際良くしてくれたことを思い出す。道具を使いやすく加工する魔術とか、こんなの大したことないなんて素っ気なく言っていたけれど、研鑽を積み重ねてきたんだろうとわかる。そんなカドックの努力に少し触れた気がした。わたしの呟きが耳に入ったのか、先生はふっと表情を緩めた。
「カドック殿とは随分打ち解けたようですね」
「まあ、うん。打ち解けたというか、いつも怒られてるけど」
 相変わらず小言や皮肉を言われるし、眉間に皺を寄せて悪態をつかれることも多い。カドックとのやりとりを思い出して苦笑していると、先生は微笑みを浮かべたままふむ、と顎に触れた。
「なるほど、怒られている……ですか」
 穏やかに、けれど少し含みを持たせた言い方に首を傾げる。何かおかしいこと言ったかな。彼の目は笑ってはいるけれど何かひっかかるというか、見透かされているような気分になる。サンドイッチと一緒に用意してくれたスープを飲みながら、「なに?」と訊ねてみると、先生は目を細めた。
「いえ、お二人はとても親しそうに見えたので」
「え?」
 ニコニコと笑顔のまま。だけど、どこかその瞳には違う光が宿っているような気がして。それが何なのか掴みきれないでいると、先生はまた口を開いた。
「カドック殿はパートナーなのでしょう?」
「……えっ!?」
 かちゃん、と音が響いてスープが揺れる。幸い零れはしなかったが、わたしは目を瞠って向かいに座るサーヴァントを凝視した。
「おや、違いましたか」
「い、いや、その……。違わないけど……でもなんで」
「先日、森の中でお二人が身を寄せ合っているところを見かけたものですから」
 その言葉に、ぶわりと体温が上がった気がした。カルデアに帰還する前夜のこと、カドックと過ごしたことを思い出す。あのときケイローン先生はいなかったはず……と思いかけて、あぁ、と息を吐いた。
「見えてたんだ?」
「ええ。目がいいので」
 常にマスターの安全と状況把握に努めるのがサーヴァントの役目です、と先生は言う。それはそうかもしれないけど、でも先生はあえて見なかったふりをしてくれる気がしていた。だからこうやって言葉にされて少し困惑する。
 もしかして、お説教される? 作戦行動中は自重するようにとか風紀が乱れるのはいけません、とか? 
 ……でも、それにしては。
「なんか楽しそう」
 熱くなる頬を隠すようにスープを口に含む。おやそうですかと首を傾げるだけだけど、その口元にうっすら浮かんでいる笑みは否定してくれない。……うん、楽しんでると思う。
「マスターに好い人ができたことは喜ばしいことです」
「好い人……」
 口の中で転がすように呟く。わたしとカドックの関係は、そういう言葉で表現されるものなのか。
「戦いに身を置かねばならぬ身の上ではありますが、芽生えた感情は大切にしてください。そういった心の機微に寄り添うことができるのは素晴らしいことだと思います。」
 その言葉や表情の柔らかさ、穏やかな瞳は慈愛に満ちていて、わたしの心がすっと軽くなる。
 あぁ、そうか。先生は、先生なりの言葉で祝福してくれているんだ。この先を歩んでいこうとする未来がたとえどんなものであっても、今を生きるわたし達の心を守り尊重してくれる。
 言葉の端々からそれが伝わってきて、胸の奥が震えた。
「心とは不確かなものです。故に、時に揺らぎ、惑い、苦しむこともあるでしょう。ですがその心を育むことができるのは人だからこそ、なのですから」
 ケイローン先生の、深い緑色の目が優しい光を放つ。その眼差しに込められた、深い慈しみと労りを肌で感じて込み上げる感情を飲み込んだ。鼻の奥がツンとする。それを堪えるようにして、なんとか笑みをつくろった。
「ありがとう先生。私も、大事にしたい」
 心がある限りわたしはそれを守りたい。そう強く思った。その思いを込めて見つめ返す。彼は、穏やかに微笑んで頷いてくれた。
「ああ。もしカドック殿とのことで何かあればいつでも相談に乗りましょう。必要であれば指導も」
 遠慮なく、と爽やかな笑顔で言われる。拳を掲げる先生の姿に苦笑いしていると、食堂の入り口に話題の人物が現れた。カドックだ。
 室内に視線を巡らして、わたしたちを目にとめる。ケイローン先生も視線に気づいたのか振り向いて彼の姿を認めた。先生はわたしとカドックの顔を交互に見やり、そしてまたにこりと笑った。
「噂をすれば、ですね。では私は失礼します」
 え、と声をあげる前に席を立つ。いつの間に完食したのか、空のトレーを手にしてカウンターに持っていく。そして食堂を出る際、カドックとすれ違いざまになにか話しかけていた。目を見開く彼の表情を見て愉しそうに目を細めると、そのまま去っていった。ケイローンの後ろ姿をしばらく見ていたカドックだったが、やがてこちらに歩いてくる。私の隣の席に座ると深いため息と共に頬杖をついた。
 ……どうしたんだろう? 先生は楽しそうだったけど、カドックは何やら複雑な面持ちである。
「先生になにか言われた?」
「ああ、いや。まぁ、うん」
 歯切れの悪い返答に首を傾げる
「ケイローンは、その……知ってるんだな」
「うん。なんか見られてたみたい」
「そうか……ケイローンもか」
 額に手を当てると項垂れ、そしてまたため息を吐く。一体なにを言われたんだろう。気になるけど、それ以上は話してくれなさそうだ。スープをスプーンでかき混ぜつつ、ちらりと様子を窺ってみる。頬杖をつきながら何か考えるようにしていたカドックだが、やがてこちらに向き直った。
「あの、さ」
「うん」
「この後の予定は」
「んーと、ダ・ヴィンチちゃんの工房に行ってくるよ。魔術礼装のメンテナンスするって」
「その後は?」
 カドックがじっと見つめてくるので、言葉に詰まる。……何を期待しているかは、なんとなく察しているけれど。
「なにもない、と思う」
 最後は尻すぼみになってしまい、頰が熱くなる。わたしは目を伏せて残りのサンドイッチを頬張った。その様子を見ていたカドックも少し顔を赤くして、そうか、と頷いた。
「僕はずっと部屋にいるから」
 それだけ、と素っ気なく言って椅子から立ち上がる。そして、わたしはその背を見送りながら、熱が上がっていく頰を押さえてしばらく動けずにいた。 

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