最初は勘違いだろうと思った。僕に向けられる表情から読み取れる感情は、僕の想像の及ぶものではなかったから。
だってそうだろう。僕は汎人類史を裏切り敵対した存在で、カルデアを苦しめた元凶の一人だ。憎悪や嫌悪なだけでなく、きっともっと複雑な感情が渦巻いていて当然なのに。それでも彼女は笑みを浮かべていたんだ。それが一番自然だと言わんばかりに。彼女と共に過ごせば過ごすほど、その笑顔に心を溶かされていった。どうしてこんなにも真っ直ぐに笑う事ができるのか戸惑って、でもその眩しさから目が離せなくて。
……うん。そうだ。僕はいつの間にか、藤丸のことが──。
…………―――
「カドック?」
不意に声が聞こえて我に返った。声の方へと顔を向けると、藤丸が不思議そうな表情でこちらを覗き込んでいた。
「どうかした? 何かぼうっとしてたけど」
「ああ、いや……。なんでもない」
首を振って答える。藤丸は首を傾げたあと「それならいいんだけど」と言って微笑んだ。
「あ、報告書できたよ。これでいいかな」
差し出されたタブレット端末を受け取る。表示されているのは先日発生した微小特異点へレイシフトした際の報告書だ。僕も同行して作戦にあたり無事これを修復することができたのだが……。
一時間ほど前、ゴルドルフ司令官に呼び止められ藤丸の報告書がまだ提出されていないことを知らされた。本来ならとっくに提出しなければならないものだが、あいつは毎回報告書が遅れているらしい。だから尻を叩いてくるよう言われ、ついでに内容に不足がないかチェックまで任されてしまったのだ。どうして僕がと思わないでもないが、カルデアは常に人手不足。それにダ・ヴィンチから先輩として色々教えてやってくれと頼まれていたので仕方ない。
自分の端末を取り出し、藤丸の報告書と僕が書いた報告書を照らし合わせながら確認していく。覗き込むように近付いてくる藤丸の顔。ふわりと漂う甘い香りに一瞬息が詰まる。
……くそ。何度指摘しても変えようとしないこの距離感どうにかならないのか。
こっちの事情などお構いなしの無邪気な顔を見ていると、自然とため息が漏れてしまう。だがそれは同時に自分がいつも通りの平静さを保てていることの確認でもあった。高鳴る心臓に気付かないふりをして無言のまま画面をスクロールさせる。大丈夫だ。まだ。
時折指差しながら不足している部分を指摘していく。うんうんと素直に修正する藤丸の姿を見つめながら、またもや湧き上がる邪な思考を振り払った。
***
「うん。これでいいんじゃないか」
報告書に抜けてる部分がないかチェックを終え、端末を閉じる。まぁ報告書というか、日記みたいになっている部分が多々あったが……。ともかく不備はないと思う。
「ありがとうカドック! 助かった!」
藤丸は笑顔で礼を言うと、報告書を送信するべくタブレットに指を走らせた。
「次は遅れないようにしろよ。僕まで小言を言われるのはごめんだからな」
一応釘を刺しておく。きちんと口で言っておかないと、こいつはすぐ忘れるからな。藤丸はエヘヘと誤魔化し笑いを浮かべつつ「カドックは優しいね」と言った。いや、そういう話じゃないだろう……。まぁ、いいか。否定はしないでおこう。
それにしても、と改めて今いる場所をぐるりと見回す。ここは僕が寝泊まりしている部屋、もとい幽閉室である。寝台とデスクが置かれているだけの殺風景な部屋に藤丸と二人きり。来客用の椅子なんてものはないから、僕と彼女はベッドに並んで腰掛けている状態だ。身じろぎすれば肩と肩が触れてしまうのでは、と思うほどに狭い空間に藤丸がいる。その距離は、妙な緊張感を僕にもたらしていた。
そもそもなぜこうなったかというと、言い出しっぺは藤丸だ。元々この報告書作成は藤丸の部屋でやるつもりだったのに、コイツが僕の部屋がいいと言い出した。自室はサーヴァントの出入りが多くて、ついついお喋りに耽ってしまうから機密事項の書類作成には向いていないとかなんとか。そう言われれば確かにそうかもしれないが、だとしても男の部屋で二人きりというのはどうなんだ?
藤丸と一緒に過ごすようになりしばらく経つが、相変わらず危機感というか警戒心がなさ過ぎる。もう少し異性としての自覚を持ってくれないだろうか。
南米異聞帯の時だってあっさり僕に自室を貸すなんて真似をしていたし。僕じゃなくて他の男にも同じことをしてたらと思うと……。いや、そもそもこいつにそういう発想がないのかもしれない。今まで、ギリギリの状況で戦いを続けてきたんだ。男女のあれこれなんて二の次三の次、あるいは抜け落ちてしまっているのかもしれない。藤丸の周りは常にサーヴァントが囲んでいてパーソナルスペースが狭いというか距離感がおかしい気がするし。まぁ、そうだとしてもこの部屋に行くことを承諾したのは僕に下心があるからで。
悶々と考えていると、ふと視線を感じて顔を上げた。そこにはこちらの顔をじいっと見つめる藤丸の姿が。ぎくりと体を強張らせ、視線を逸らす。
「……なに」
「カドック、やっぱり今日変じゃない? もしかして体調悪い?」
そう言ってさらに身を寄せてくる藤丸。その声には微かに心配そうな色が滲んていて、言葉に詰まってしまった。普段は呑気で鈍感なくせにこんな時だけ妙に勘が鋭いところとか、本当に……。気遣わしげにまっすぐ見つめてくるその瞳は、僕の心臓をいたずらに乱す。
勘弁してくれ。そう心の中で呟いて、ようやく出てきた言葉は「別に」の一言だけだった。
「本当に?」
「本当だって」
なおも問い詰める彼女に「しつこいぞ」と顔を顰めてみせる。が、納得いかないようで訝しげな表情を浮かべていた。
「そんなに探ろうとしないでくれ。僕にプライバシーはないのか?」
まぁ、捕虜の身でプライバシーなんてないだろうけどさ。
ついそうぼやくと、藤丸はぱちりと目を瞬いて眉間にしわを寄せた。
「立場としてはそうかもしれないけど……カドックのこと、捕虜だなんて思ってないよ」
静かだけれど断固とした声だった。痛いくらいの眼差しが僕へと向けられていて、今度はこちらが目を丸くしてしまう。
「北米でも、ミクトランでも、カドックはわたしたちに力を貸してくれた。命懸けで助けてくれた。いま、その首になにもついてないのがその証拠だよ」
少し怒っているような、拗ねているような表情でそう訴える藤丸に、僕は何も言えなかった。こんな反応が返ってくるなんて思っていなかったから。
……まただ。また、心がざわつく。
「僕は、魔術師としては大したことない。おまえが思っているほど大きなものを積み上げてきたわけじゃない。カルデアに協力するのは、ただ、死にたくないから。……自分のためだ」
吐き捨てるよう告げて、左胸を押さえる。歪む顔を見られたくなくて、視線を落とす。
──私は、信じています。
選択肢をどれほど間違えようとも、あなたはきっと正しく為すべきことを為すと──
雪が吹き荒ぶロシアの大地で、僕の唯一のサーヴァントの最後の言葉が頭の中でこだまする。まだ、死ぬわけにはいかない。その思いが僕を突き動かしている。今はそれだけじゃない、けれど。
「わたしもだよ」
不意の返事に顔を上げる。穏やかな表情で微笑む藤丸と目が合った。緊張も打算もない、純粋な微笑み。それが僕の脆い部分を容赦なく斬りつけてくる。心臓を鷲掴みされたような息苦しさを感じながら、そっと息を吐き出した。
「生きるために、自分たちの世界を取り戻すために失ったもの……奪ったものがたくさんある」
そう言うと、彼女は自らの両手に目を落とした。その横顔はどこか寂し気で。その瞳には僅かに陰りがあるようにも見えたが、すぐに顔を上げにっこりと笑った。
「でも、前を見て進むって決めたんだ」
「……っ」
データベースにあった、汎人類史を取り戻す旅の記録。異聞帯での戦いの記録。そのどれもが、この笑顔からは想像もつかない壮絶なものだった。僕が壊したもの、壊されたものも全てそこにはあった。でも、そんな日々を超えてなお、目の前の存在は変わらずに微笑んでいた。
「ダメな時はダメかもしれないけど最後まで足掻くって決めたから。自分ができることを、自分が信じる道を歩いていきたいって」
淀みのない声音は、確かな意志を感じさせ、その目に宿った光は眩いほどに力強い。
「……本当に、お人よしだな」
「そうかな。カドックだって、なんだかんだ気にかけてくれるじゃん」
ふふ、と微笑まれる。それに反論しようと口を開いたが、うまく言葉が出てこない。
「そういうわけだから、これからも力を貸して欲しいな」
期待のこもった眼差しを向けられ言葉を飲み込む。
コイツは、こちらが驚くほどの図太さとまっすぐさを持ち合わせてて、それでも折れることなく歩み続ける強さを持っている。なんでもないことのように微笑んで、僕に力を貸してくれと手を差し伸べてくる。
……本当に嫌になる。羨ましくて妬ましくて目が離せなくて。コイツのそういうところが僕は嫌いだった。
嫌いで、好きで、たまらない。
僕はいつだって振り回されっぱなしだ。でもそれも悪くないと思ってしまうくらいには、この手が──藤丸立香という存在がどうしようもなく僕を惹きつける。
だから、僕は。
「……フッ」
「カドック?」
クックッと肩を揺らす僕に、不思議そうに藤丸が顔を覗き込んでくる。
ずっと考えていた。自分のすべきこと、やらなければならないこと。その果てにあるもの、そしてその先に見えるもの。僕がこれまでしてきたことは消えるわけじゃない。その罪を背負うことだって忘れない。
でも、それでも。僕は僕なりの答えを見つけて前に進むことができるんじゃないかって。そのきっかけをくれたのは、コイツだから。
笑っている僕が珍しいのか、大きな瞳を丸くして見つめてくる。藤丸のそばにいると力が抜ける。これが絆されるってことなんだな。まあ、わかってたけど。
「おまえは魔術に関してはいまだに素人だし、無茶ばっかりするし冷静さに欠けてて魔術師として全然ダメ」
「えぇ……急にダメ出ししてきた」
藤丸が不満そうに口を尖らせる。事実だから仕方ないだろう、と笑みをこぼして「だけど」と続けた。
「いいマスターだと、思う」
「……!」
パッと、藤丸の顔が輝いた。コロコロ変わる表情にまた笑いそうになるけれど、なんとか堪える。
「悔しいけど、僕はおまえがこんな状況下でも前向きでいられるところ、好きみたいだ」
自然と言葉が溢れた。
「えっと……」
動きを止め瞬きをする藤丸。言葉の意味を考えるようにゆっくりと視線を彷徨わせる。どう解釈するのか、どう反応するのか興味深く見つめる。
「わたしも、頼りにしてるよ。な、仲間として?」
頬を赤くして、はにかんだように微笑む藤丸。予想通りの反応だが、ここはこのまま流した方がいいのだろうか。これからも戦いは続く。今はこの関係に落ち着くのが一番いいのかもしれない。だけど……。
もう一歩、踏み込んでみたくなった。
「僕は」
静かに息を吸って吐き出す。心臓は早鐘を打ち始めたが、不思議と心は穏やかだった。藤丸を見据えて意を決して言葉を紡ぐ。
「勘違いされたくないからもう一度言うけど。僕はおまえのことが、好きだ」
「え?」
目を見開く藤丸。彼女の視線を一身に浴び、全身が心臓になったみたいに鼓動がうるさく響く。
「その……ぁ、愛してるって意味で」
言葉尻は消えていくようにか細くなってしまった。でも、伝えた。言葉にして音に乗せて、実感が伴っていく。もう後戻りは出来ない。無かったことにできない。顔も耳も、体全体が熱い。恥ずかしくて目を逸らしそうになるけれど、ここで逃げるわけにはいかない。覚悟を決めて、じっと藤丸の表情を窺った。
呆然と僕を見つめていた藤丸の顔がボン!と一気に茹だった。
「えっ……え!?」
面白いくらいに真っ赤になってあわあわと慌て始める。ついさっきまで真剣な眼差しで話していたとは思えないほどの豹変ぶり。この反応は……もしかしてアリなのか?
うろたえる藤丸に、少し意地の悪い気持ちが湧き上がってくる。その頬に触れると、びくりと震えてベッドから立ち上がった。
「あっ、えっ……えっと」
急に僕から距離を取ろうとする藤丸を、逃すまいと追いかけて距離を詰める。
「カドック、待って。ストップ!」
「どうして逃げるんだ」
「だ、だって、急に、好きとか言うから」
戸惑いの表情を浮かべながらもジリジリと後ずさっていく藤丸。そのまま壁際まで追い詰めると真っ赤な顔で僕を見上げてくる。こんな顔は初めて見るな、と思わず喉が鳴った。怯えにも似た表情は男を刺激するだけだってこと、コイツは理解しているんだろうか。
「カドック……あの」
「……何もしない」
おまえの許しをもらえるまでは、と付け足す。その声は思った以上に熱が籠もっていて、自分の余裕のなさに苦笑する。壁についた手に少しだけ体重をかけるとそれだけで更に距離が縮まって、藤丸はもうどこにも逃げられない。
「怖がらせたいわけじゃない。けど」
潤んだ瞳で僕を見上げる藤丸。その瞳には困惑と期待が入り混じっているように見えた。僕の願望かもしれないとも一瞬思ったけれど、自惚れてしまってもいいのかもしれない。
「藤丸に触れたい。ダメか?」
囁くように告げると、藤丸はきゅっと目を閉じて、それから。
「……ダメ、じゃ、ない」
か細い声でそう答えると、額を僕の胸に押し付けてきた。鮮やかな橙色の柔らかな髪から、甘い香りが漂ってくる。
「カドックになら、何されてもいいよ」
小さく、でも確かに聞こえたその声に、頭の中が真っ白になった。いや、真っ赤に染まったのかもしれない。目眩にも似た感覚に襲われて全身が熱く痺れていく。
このまま力任せに抱きしめたい気持ちをなんとか押し留めて、そっと細い肩に触れる。びくりと震えるが抵抗はなく、そのままゆっくりと抱き寄せた。力を加減しながら腕の中に閉じ込める。
「それ、意味わかって言ってるのか」
なんとか絞り出した声は情けなくも少し震えていて、心臓は壊れそうなほど強く脈打っていた。以前、藤丸を脇に抱えて走ったことがあり体の柔らかさは知っていたはずなのに。こうして触れるのとではまるで違う感覚だ。
「わ、わかってる」
自身の発言の大胆さに気付いたのか、上ずった声が僕の胸元から聞こえて、たまらなくなりぎゅっと腕の力を強めた。藤丸の体温、呼吸、匂い、全てを感じる。はぁと深く息を吐き出すと、腕の中で藤丸が身じろぎした。ゆっくりと顔を上げた彼女と目が合う。熱に浮かされたように揺れる瞳が僕を映している。
ちくしょう……。
奥歯を噛み締めて、喉の奥で呻く。悔しさと愛おしさが綯い交ぜになって胸の内から溢れ出していく。顔を傾けて、鼻先が触れるほど距離を縮めた。
ひくりと震える瞼、きゅっと閉じられる瞳。僅かに開かれた唇は瑞々しく、触れたいという欲を加速させる。一瞬の躊躇いのあと、唇を食むように口付けた。
「ん……」
吐息が漏れる。触れるだけの口付けはそれだけで全身に熱を帯びさせた。ゆっくりと顔を離して至近距離で見つめ合うと、恥ずかしそうに睫毛を伏せる。その様子が可愛くて、さっきより強く唇を押しあてた。触れて、離して、もう一度。何度も繰り返すうちに、藤丸の腕が僕の背に回される。細い腕がしがみつくように抱きついてくるのがいじらしくて、腰を抱いて引き寄せた。ぴったりと体を密着させて、熱を分け合うように。
夢中で口付けるうちに息苦しくなったのか藤丸が僅かに口を開いて僕の名を呼ぶ。その声ごと飲み込むように、深く唇を合わせた。
「ふ、ぁ……っ」
漏れる吐息が熱い。甘くて、脳髄が痺れるような感覚に夢中になってしまう。角度を変えて何度も重ねる唇に息が上がっていく。
長い口付けを終えると、藤丸は僕の肩に寄りかかって息を整えていた。上気した頬と濡れた唇、乱れた吐息に誘われるように、今度は目尻に口付けを落とす。
「キスしちゃったね」
「……あぁ」
腕の中で照れ臭そうに笑う藤丸に、素っ気なく答える。もっと気の利いた言葉が言えればいいのだが、今はこれが精一杯だった。
「ふふ、カドックの顔真っ赤」
くすくすと笑いながら、藤丸の手が僕の頬に触れる。その手を掴んで、手の甲にも口付けを落とした。
「よかったのか? 僕なんかと」
今更そんなことを聞いてしまうのは僕が臆病だから。狡い言い方をして、それでも藤丸の気持ちを言葉で確かめたくて。
呆れられるか、笑われるか、はたまた怒られるか。そんな不安を抱えながら返答を待っていると、藤丸は笑みを浮かべたまま僕を見上げ、そして。
「カドックがいい」
そう言って藤丸は握った僕の手を自分の左胸へと押し当てた。ギョッと目を剥く僕に、藤丸は恥ずかしそうに目を伏せて「ほら、ドキドキしてるでしょ?」と続ける。確かにドクンドクンと大きく脈打つ鼓動が掌から伝わってくる。
「カドックといる時ね、ずっとこうなんだよ」
「……っ!」
僕を見上げる藤丸の瞳が、艶やかに揺らめく。
つまり、それは。
僕が感じていたあの胸の奥を擽られるような焦燥は、彼女も感じていたということ。その事実を受け止めると、ますます顔が熱くなってくる。
ここで終わりになんてできない。藤丸にもっと触れたい。その思いは僕の行動に直結した。掴んだ手はそのままに反対の手で腰を引き寄せた、その時だった。
『緊急連絡〜緊急連絡〜』
「!」
突如鳴り響く警報に目を丸くする。同時にダ・ヴィンチの声がスピーカー越しに聞こえてきた。
『新たな特異点発生を確認! 立香ちゃん、マシュ、カドックは至急管制室へ! 繰り返す──』
お互い目を合わせる。その目に宿る色はまだ消えていなかったけれど、それでも名残惜しく彼女の体から手を離した。藤丸は大きく深呼吸をして力強く頷く。その目はもう覚悟を決めたマスターのものだ。
「行こう。カドック」
さっきまでの甘い雰囲気は一気に霧散し、僕らは慌ただしく管制室へと向かう。通路を走りながらちらりと藤丸の横顔を見やると、前を見据えるその瞳には迷いはない。僕の脳内にはあの艶めいた表情がまだ残っている。柔らかな唇、互いの熱。
くそ、浮足立っている場合じゃないのに。藤丸はもう切り替えているというのに情けない。管制室に着くまでに気を引き締めなければ。
「カドック」
そう自分に言い聞かせているところに名前を呼ばれ、隣を走る藤丸を見る。
「なんだ」
「あのね」
藤丸は少しだけ言い淀み、それから。
「これが解決したら、またカドックの部屋に行っていい?」
「は?」
思いもよらない言葉に、思わず足を止めそうになる。
「二人きりになれるのってカドックの部屋くらいだから、その……」
――もう一度キスしたいなって。
そう付け加えると、恥ずかしそうに頬を染めた。ああ、どうしてこうも不意打ちなのか。無意識に煽ってくるせいで振り払おうとしていた熱がぶり返す。
コイツは、ほんっとうに……!
走りながら拳を握りしめる。前言撤回だ。やっぱりこいつはタチが悪い。小さく息を吐いて呼吸を整えると、彼女の肩を引き寄せ耳元に唇を寄せる。
「次はキスだけで終わりそうにないから。覚悟してきてくれ」
それだけ言ってすぐに体を離し、走る速度を上げる。後ろから「えぇっ!?」と素っ頓狂な声が聞こえたが、知らん振りをした。
管制室到着まで、あと少し。