人類最強と称される男が、私の頬に触れる。
大層な称号とは裏腹にその手は華奢で、冷たかった。手のひらは硬く、剣を握るのに馴れている者の手。この手で幾多もの巨人を屠ってきたのかと思うと、ぞくりと背筋が震えた。手をたどり、顔を見上げる。彼の顔には何の表情も浮かんではいなかった。ただ私を見下ろしている。瞳に宿る感情の色は私に読み取ることはできない。
リヴァイが私の耳元に口を寄せて囁いた。彼から与えられる温もりに身を預けながら、静かに目を閉じ、彼に聞こえるほどの小さな声で答えた。互いの声音だけを響かせながら、私たちは密やかに言葉を交わした。
「いい子だ」
まるで愛おしいものにそうするように、そっと私の額に唇を落とした。瞼の裏に焼き付いた残像を振り払うように強く目を閉じる。心臓が強く脈打ち、身体中に血が巡って熱を帯びるのを感じる。その熱が行き場を求めて暴れ回っているようだ。
この感情は何だろうか。恐怖ではない。怯えでもない。喜びでも、安堵でも、希望でもない。強いて言うなら巨人のうなじを削いだ時のような高揚感に近い。
しかし、それも違う気がする。分からない。ただひたすらに、どうしようもなく苦しかった。
これは何だろう。答えを探しても見つからなくて、代わりに彼の背へと腕を回した。きつく抱きしめても、きっと答えなど見つからないままなのだけれど。それでも、少しでも長く彼の体温を感じていたかった。
首筋に顔をうずめると彼の匂いを強く感じる。この香りに包まれていれば、いつか分かる日が来るかもしれないと思った。
「リヴァイ」
名を呼ぶと、肩口に埋められていた頭がわずかに動いた。私の呼びかけに応えるようにして顔を上げる。そして再び覆い被さると、今度は左の目尻に唇を押し当てた。触れた箇所からじんわりと広がる熱に酔いしれる。それは麻薬のように私の思考を奪うのだ。身体の奥底で燻っていた炎が燃え上がるのを感じた。
「ねぇ、リヴァイ」
「なんだ」
私の両手は彼の頬に触れている。彼が見つめれば自然と見つめ返す形になる。アッシュグレーの瞳が、まっすぐに私に向けられていた。
「死んだ仲間たちのこと覚えてる?」
唐突な質問に、彼はわずかに眉根を寄せた。これから睦み合おうという時に不釣り合いな話題だと自分でも思う。
壁の外へ赴くたびに死んだ仲間の数を数えてきた。多くの命を犠牲にして自由のために戦う私たちに待ち受けているのは敗北ばかり。
仲間の死はいつも無慈悲に突きつけられる現実であり、決して夢や幻にはならない。
死とはそういうものだ。そんなことは理解している。たとえ二度と会えなくとも、彼らのことを心に刻み込んで生き続けるしかない。
「さあ、どうだろうな」
問いかけの真意を探るように、彼はじっとこちらを見据えたまま動かない。まるで心の奥まで覗き込むような視線だった。
リヴァイの頬は月明かりを受けて青白く照らされている。輪郭をなぞるように指先で触れると、その肌は想像していたよりもずっと滑らかだった。
忘れてしまったわけではないはずだ。忘れたいと思っているわけでもないはずだ。
死者を悼む気持ちはあれど、哀しみや憎しみといった負の感情に支配されることはないのだろう。
生き残った者が前を向いて生きるためには、悲しみに押し潰されている暇はない。彼らが遺してくれたものを胸に抱いて、私たちはこれからも戦い続けなければならない。
リヴァイは何も言わずに視線を落とす。彼の手が背中へと回るのを感じながら、その温もりを受け入れるために私もまた腕の力を強めた。
「私が死んだら、リヴァイには覚えててほしいな」
彼を抱き寄せながら、独り言のように呟いた。もし自分が死んでしまっても誰かの記憶の中に存在できるなら幸せだと思う。その人が私を覚えていてくれるなら寂しくないと思う。そう思ってるのはきっと私だけじゃないはず。
自分の記憶が、想いが、誰かへ受け継がれていくように願って刃を振るうのだ。私がいなくなったあとでも彼の記憶の中で生きていけたらいいのに、なんていうのはあまりにも都合の良い話だろうか。
そっと胸に耳を寄せた。鼓動の音が聞こえる。とても規則正しい音。
彼がまだ、ここにいる証。
最期の時、私は彼を想うだろうか。その時リヴァイは何を思うのだろうか。わからない。でも、今はただ、この優しい熱に溺れていたい。その先にどんな結末が待っていようとも。
リヴァイは何も答えなかった。
***
薄明かりの中、傍らで眠る女を見やる。柔らかそうな栗色の髪に触れてみるが、起きる気配はなかった。静かに寝息を立てており、その穏やかな表情からは警戒心の欠片すら感じられない。だが、時々見せる弱さや脆さが、ひどく危うげに思えて仕方がない。
今にも壊れてしまいそうなガラス細工のようなその様子は、いつだって俺の心を騒つかせる。
こいつは俺にとってどういう存在なのか、と自問する。この関係が何と呼ばれるのか知らない。恋人だとか、そんな言葉に当てはめることに興味はなかった。
ただ、この女を抱くたびに、俺の中にぽっかり空いた穴が広がっていくような気がした。何かが欠けたまま、埋められないまま、日々は流れていく。しかし、それも悪くないと思う自分がいることも確かだった。
満たされていないという感覚は存外、嫌いではない。それは生きている証拠だからだ。
──私が死んだら、リヴァイには覚えててほしいな
女の言葉が脳裏に浮かぶ。いつかは来る終わりの話だ。明日かもしれないし、十年後かもしれない。いずれにせよ、必ず訪れるもの。その日が来ても、俺はこいつの願い通り覚えているのだろうか。あるいはその前に、自ら幕を引くことになるのだろうか。考えたところで答えは出ない。いや、考える必要もない。ただその瞬間まで、俺は俺の役割を全うするだけだ。
シーツの上で長い髪がさらりと揺れた。手を伸ばし、指先でそれを掬う。滑らかな感触を楽しむように何度か撫でてから、そのまま髪を一房掴んで口づけた。唇に触れた毛先が柔らかく、どこか甘い香りを放っている。まるで花の蜜に引き寄せられる蝶のように、誘われるがまま白い首筋に顔を埋めた。
少し力を入れて吸えば、鬱血痕が残る。所有印とも言うべき赤い跡。すぐに消えてしまう小さな花。それでも残したいと思った。
たとえそれが刹那的な衝動であっても構わない。気紛れであろうと、戯れだろうと、そこに理由など必要はない。ただそうしたかったから、そうしただけのこと。
女の体温を肌で感じる。呼吸に合わせて上下する胸。柔らかな皮膚の下に隠された心臓。脈打つその音。それらすべてを腕の中に閉じ込める。
やがて夜の闇は徐々に明けていき、白い光が世界を照らし始めるだろう。次に目覚めたら男と女ではなく兵士として、上官と部下に戻る。このぬるま湯のような時間とはお別れだ。
この温もりを手放すまでの短い時間を許されるなら、もう少しだけ、このまま──