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DOMANI CON TE  #3

 会議室には団長であるエルヴィンと分隊長ら幹部が勢揃いしていた。二日後に行われる壁外遠征の作戦について、団長から改めて説明がなされる。前回と同様、シガンシナ区奪還のための拠点設置を目的としている。地図を広げて説明するエルヴィンの声を聞き流しながら、リヴァイは窓の外に広がる空を見上げた。厚い雲がかかり、どんよりとした灰色が広がっている。まだ昼間だというのに陽は遮られ辺りは薄暗い。湿った空気を孕んだ風が吹いて、枝葉を大きく揺らしていった。
 視線を室内に戻すと、中央の机を取り囲むようにして話し声が飛び交っていた。エルヴィンの隣には副官として控える彼女の姿もある。冷静沈着といった様子で、表情を変えずに上官の話に耳を傾けていた。その姿は普段と変わらないように見えたが、リヴァイはどこか違和感を覚えていた。 どこが違うのかはっきりとは言えないが、いつもとは何か違う気がする。視線に気付いたのか、彼女が顔を上げた。目が合うと小さく微笑みを浮かべたが、すぐに手元の資料に目を落とす。いつもと変わらないか……? 先ほど感じた違和感は何だったのか分からぬまま、リヴァイは会議に集中しようと意識を切り替えた。

 会議は夕方まで続き、終わりを迎えた時にはすっかり暗くなっていた。解散の声と共にそれぞれ持ち場に戻る中、彼女はエルヴィンと何かを話し込んでいた。内容までは聞き取れないものの真剣な面差しで向き合っているのを見て、声を掛けるのは躊躇われた。横目で見やりながら廊下に出ると、扉のすぐ脇の壁にもたれかかる人物の姿があった。
「なんだ」
 相手を見るなりそう問うた。そこにいたのはこの兵団の中でも古株に入るミケ・ザカリアスだ。彼はリヴァイの姿を捉えると口元を歪めて笑った。何考えてるか分かりにくい男だが、付き合いが長いだけあって大体分かる。
「このあと時間あるか」
 一杯どうだ、と誘われる。今日は特に予定もない。リヴァイは承諾の意を込めて、あぁ、と答えた。
 
 連れていかれた先は調査兵団の行きつけで、中には馴染みの顔ぶれが集まっていた。
「あ! ミケとリヴァイも来た〜」
 すでに出来上がっているナナバが手を振ってくる。その隣ではゲルガーとリーネがジョッキを掲げ、乾杯をしていた。明日は調整日で訓練がないこともあり、皆羽を伸ばしているようだ。テーブルの上には酒瓶やつまみの皿が並んでおり、大騒ぎしている。
 リヴァイたちは適当に空いた席に腰掛けると、早速運ばれてきたビールに口をつける。苦味が喉を通り過ぎるのを感じながら、一息ついたところで切り出した。
「それで、何の話だ」
 ミケとは久しぶりに酒を酌み交わすが、ただ酒を飲みに来ただけではないだろうということは分かっていた。フッと笑みを浮かべると彼は口を開く。
「アイツとうまくいってるのか」
 やっぱりか。そんな予感はしていたがやはりそういう話らしい。リヴァイが彼女――エルヴィンの副官と恋仲になったことは、ごく一部の人間しか知らない。その限られた人数の中には目の前の相手も含まれていた。グラスを片手にテーブルに肘をつくと、リヴァイは素っ気なく答える。
「おいおい。元部下の恋愛事情がそんなに気になるのか」
 茶化すような口調で尋ねると、彼は「そうだな」と答えて頬杖をつきながら続けた。
「アイツはお前に憧れていたからな。うまくいっているなら良いと思うだけだ」
 そう言って意味ありげな眼差しを向けてくる。その視線をリヴァイは軽く受け流すと、残りのビールを流し込んだ。
「フン……壁外遠征の準備でクソ忙しくなったからな」
 そこで言葉を区切ると、店員を呼び止めて追加の注文をする。
「上手くいくどころか始まってもねぇよ」
 壁外遠征が決まってからというもの、二人きりの時間はほとんど取れていなかった。会議、訓練、事務作業、さらには遠征に備えての装備の点検などやることも多く、毎日のように夜遅くまで仕事を片付けている日々が続いている。かたや彼女はエルヴィンに同行して内地に行くことも増えたため、すれ違う日が続いていた。食事をともにするくらいの時間はあるが、恋人同士の甘いひとときを過ごす余裕はない。そうこうしているうちに、今日に至るというわけだ。
 運ばれてきたビールを受け取るとリヴァイはまた一気に煽った。
「なんだ。じゃあお前たち、まだ[#「まだ」に傍点]なのか」
 意外そうに言われ、リヴァイは眉間にシワを寄せた。
「だから、それどころじゃねえ」
 下世話な話をするためにわざわざ呼びつけたのか。非難めいたものを込めて睨むが、ミケは動じない様子で肩をすくめた。
「次の壁外遠征、アイツは兵団本部で待機なんだろう」
「そうだな」
「お前に限って、とは考えにくいが、壁の外では何があるかわからないからな」
 いつ命を落としてもおかしくない。そういう場所に身を置く者同士の関係というのは常に不安定だ。だからこそ、後悔のないようにしろよとミケは暗に伝えてきている。リヴァイは黙ってそれに耳を傾けながら、視線を落とした。先ほどの会議の時に感じた違和感を思い出す。彼女はいつもと変わらないように見えたが、内心不安を抱えて過ごしていたのかもしれない。
「……そうだな」
 同意するように言うと、ミケはそれ以上何も言わなかった。

 ***

 店から出ると、いつの間にか降り出していた雨が地面を濡らしていた。厚い雲からは細い糸のような雨が絶え間なく落ち続けている。湿った空気と土の匂いが混ざり合い、辺りに充満していた。ミケはゲルガーたちと飲み直すらしく、リヴァイは一人兵舎に向かって歩き出す。酒場の前にはまだ人の往来があり、傘を差した人や外套のフードを被って急ぎ足で通り過ぎていく人の姿が見える。濡れた石畳を踏みしめながら、ぼんやりとした灯りの中を歩いて行く。ブーツのつま先が水たまりに落ちて跳ねた。それを見下ろしながら、彼女はいま何をしているだろうかと考える。会議のあと、エルヴィンと話し込んでいたが、もう自室に戻っただろうか。疲れて早めに休んでる可能性だってある。リヴァイの足取りは徐々に重くなっていった。

 肌に張りつくシャツは雨で湿っていて、身体を動かせば不快な感触を残す。リヴァイはそれを引き剥がすようにして脱ぎ捨てるとシャワールームに入った。頭から熱い湯を浴びてようやく人心地つく。しかし、気分は晴れないまま。手早く全身を洗うと早々に浴室を出た。
 髪を拭きながら、ふと視界の端に映った時計を見ると針はすでに午前一時を指していた。思っていたよりも遅い時間だったことを知り、少し落胆している自分に気づく。ガラスの向こうでは先ほどより激しい雨が降っており、地響きのように低い音が鳴り響いている。リヴァイは小さく舌打ちするとそのままベッドに身を投げた。ぼふんと音を立てて枕が沈み込む。
 後悔のないように――
 ミケの言葉が頭の中で繰り返されていた。つまり、彼女と関係を深めておけということだろう。
 そんなこと、自分も望んでいる。
 彼女の柔らかな身体を抱き締めたいし、甘い声を聞きたい。口づけをして、熱く潤んだ瞳を見てみたい。雨の音に思考を乱されながら、その欲求はどんどん膨れ上がっていく。だが、彼女もリヴァイと同じように関係を進めたいと思ってくれているとは限らない。もしそうでなければ、彼女を困らせてしまうことになる。
「クソ……」
 このまま悶々とした状態でいるくらいなら、直接聞いてしまえばいい。もし眠っていたら戻ってくればいい。それだけだ。
 思い立つとリヴァイはすぐに立ち上がり、再び部屋の外へ出るため扉を開けた。
「あっ……」
 小さな声とともに人影が現れた。驚いたように目を見開いてこちらを見る相手と目が合う。そこにいたのは今まさに考えていた人物だった。普段は束ねられている栗色の長い髪が下ろされている。薄手の部屋着を身につけた彼女はランプを片手に持ち、もう片方の手で壁にもたれかかるような姿勢で立っていた。その姿を目にして、リヴァイは言葉を発せずに固まっていた。
「あの、窓から兵長がお戻りになるのが見えたので……その、」
 大きな青い瞳がゆらゆらと揺れている。それは暗闇の中でも輝く水面のように美しい。目が離せないでいると、彼女は顔を背けて俯いた。淡い光に照らされた項や耳たぶが赤く染まっている。リヴァイが何も言わないのをどう捉えたのか、慌てたように言った。
「すみません。驚かせてしまって。私、戻りますね」
 そう言って踵を返そうとする彼女の腕を、リヴァイは咄嵯に掴んでいた。振り返った彼女の顔はやはり赤くて、ランプを持つ手が小刻みに震えていることに気付く。
 ごくりと喉が鳴る。この機会を逃してはならない。本能がそう告げていた。
 リヴァイは自分の中に渦巻く衝動を自覚していた。ただ、彼女が欲しいという強い気持ちだけが自分を突き動かしていく。そして、それに抗う理由もなかった。
「兵長……? わっ」
 硬直したままの彼女を抱き上げると、有無を言う隙を与えずに扉を閉めた。
 
 鍵をかける音がやけに大きく聞こえた。


    

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