【リヴァイ兵長と幸せにしかならない夢アンソロジー】寄稿作品
お誕生日おめでとうございます。
窓の外には闇に溶ける夜空がどこまでも続き、風が木々を揺らす音だけが響いている。時おり思い出したように鳴く鳥の声も、もう遠くには聞こえない。
今夜はやけに眠りの波が小さい。もう幾度目になるかわからぬ寝返りを打ちながら、そう考える。普段ならとうに意識の外へ抜け落ちているはずの浅い微睡みが、一向に途切れることなく意識を捉え続けている。原因はわかっているけれど。
部屋の中を見回せば、カーテンを透かして入り込む外の街灯と月明かりのせいで部屋全体が仄青い光に包まれていた。寝静まった夜の部屋に自分の呼吸音がやたらと大きく響き渡る。
目を閉じても開けていても変わらない状況に、ため息ともつかない小さな息を漏らして身を起こす。このままベッドの中で横になっているよりは気分転換でもしようと思い立ち、そっと立ち上がった。
ふと、恋人である男の顔が頭に浮かんだ。
いま何をしているだろうか。もう寝ているだろうか。
彼のことだから遅くまで仕事をしていそうだけれど。
扉を開く際、できるだけ足音を忍ばせて部屋を出る。兵舎の中はすでに眠りに落ちており、起きている者の気配はない。階段を下りて食堂へ向かう。
廊下の窓から差し込む月明かりに照らされて、自分の影が長く床に引き摺られていた。昼間とは違った建物の空気を感じながら歩くうちに、すぐに食堂へと到着した。
普段はここで兵士同士が賑やかな食事を取り、その喧騒で溢れ返っているはずの空間に、今は静寂が支配するのみ。
ふと厨房の方に視線を向けると、細い光が漏れている。この時間にまだ誰かいるようだ。
一体誰だろうと思いながら厨房の方へ回り込むと、そこにいた人物の姿を目に止めた。
「リヴァイ?」
名前を口にすると彼はゆっくりとこちらを振り向いた。
そして私の存在を認めるとわずかに眉を上げた。お前か、とでも言いたげに。
「まだ寝てねえのか」
「それ、人のこと言えないから」
言いながら歩み寄る。リヴァイは厨房の作業台をテーブル代わりにして小さいスツールに腰をかけている。手にはグラスが握られていた。隣に立ち、彼の手元を覗き込むとそこには琥珀色の液体とアルコール特有の香りが鼻を掠めた。
どうやら一人で酒を飲んでいたらしい。
私の言葉に反論せずリヴァイは黙ってグラスを傾けた。喉を鳴らして酒を飲み干すと、空になったグラスを置く。その拍子にカランと氷が鳴った。
私は壁際に置かれたスツールを引き寄せると、それに腰をかけた。
「こんな時間に一体何しに来た」
「ちょっと眠れなくて。散歩?」
答えながら辺りを見回す。食堂の中には誰もいない。
作業台に置かれたランタンと月明かりだけが闇を退けている。
そんな闇のなか、リヴァイの影が艶やかに浮かび上がっていた。
そうだ。お酒を飲んだら眠れるかもしれない、とふと思い至り、リヴァイの方へ身を乗り出す。
「私も貰っていい?」
酒瓶に視線を向けながらそう言うと、リヴァイは「あ?」と訝しげな顔をした。
「何よ。いいじゃない」
その反応に私は口を尖らせる。リヴァイの持つグラスへ手を伸ばそうとすると、「待て」という声と同時に遮られた。
リヴァイはじっと私の目を見ると、呆れたように息を吐いた。
「お前、気づいてねえのか」
「何が?」
聞き返すと、リヴァイは表情ひとつ動かさず短く言った。
「顔色がクソ悪い」
「……え?」
私は自分の顔に手を当ててみる。
どんな顔をしているのだろう?
わからない。
リヴァイは私の顔を見て舌打ちすると、酒瓶を遠ざけた。
「酒なんか飲まずに大人しく寝てろ」
「でも」
そう答えようとした私の言葉を遮るようにリヴァイが立ち上がる。そのままケトルを手に取ると湯を沸かし始めた。火にかけたケトルを見守りながら、彼は口を開く。
「……また、アレか」
その口調には咎めるような響きはなく、どちらかというとこちらの心情を慮るような感情が込められていた。私は返答をせずに黙り込んだ。その沈黙こそが答えになるが、リヴァイは何も言ってこない。
沸かしている湯の音とケトルが蒸気を吹く音だけが、静かな空間に響いていた。
先の壁外調査で、私は死にかけた。
陣形が崩れて巨人たちが我が物顔で食い散らかす中、必死に立体機動を駆使した。
仲間が次々食べられていく光景は、瞼の裏に焼きついている。
目の前に迫る巨大な顔、刃の欠けたブレード、耳を劈く叫び声、肉を引き裂く鈍い音。
悲鳴と怒号が飛び交うなかで私は巨人に胴体を掴まれて身動きが取れなくなった。
足は空を踏み地面が遠退き、必死にもがいても腕一本自由にならなかったあの感覚。
恐怖や絶望といった感情を通り越して、もはやそれは一種の諦念すら感じさせるほどの無力感として私を支配していた。
巨人の圧倒的な力。恐怖なんて生温い感情ではなく、ただ絶対的な死を目前にして、気力も精神力も根こそぎ奪われた。
いよいよ終わりか──
その瞬間、風を切るような音と共に鈍い音がして私の身体を掴む力が緩んだ。
地面に落下したと同時に、その反動で勢いよく咽せる。
思わずその場で身を丸め、大きく咳き込んでいると背中から力強い腕で抱き起こされた。咳き込みながら見上げると、そこにはよく知る顔が。
「さっさと立て! 離脱するぞ」
私の腕を掴み立ち上がらせようとしながら、リヴァイが言う。
ああ、リヴァイが助けてくれたのか。
そう理解し立ち上がると、息を整える暇もないまま走り出した。痛む脇腹を庇いながら、それでも私は走った。馬に飛び乗り全力で壁を目指す。帰り着いた兵舎の門の前で、ついに気を失った。
恐怖と緊張と怪我の痛みと、それから安堵の気持ちが複雑に入り混じって私を限界へと追いやったのだろう。
肋骨を含む複数箇所の骨折、身体への打撲など四肢には無数の傷を負っていたが、幸いにして命に別状はなかった。それでもしばらくは思うように身体が動かず、歩くこともままならない状態だった。
だが五体満足で帰還することができたことは、運が良かったと周りから散々に言われた。
確かにその通りだと思う。
でも、私の中にはあの恐怖と絶望感がしこりのように胸に残っていて消えなかった。
傷は癒えても夢に見る。
まるで私を責め立てるように、幾度となく繰り返される悪夢。
仲間の悲鳴、巨人の咆哮、巨人の手の中で為す術もなくもがくだけの自分。
時が経つにつれて夢を見る頻度は減ったものの、消え去ることないその記憶はふとした瞬間に顔を覗かせる。
悪夢に魘される私を、この男は何度も目にしている。
「あれからもう何ヶ月も経ってるのにね。参ったよ」
あはは、と冗談めかして笑ってみせる。が、リヴァイからの返答はない。深夜とも呼べる遅い時間にランプひとつの薄暗い厨房に二人。
ぼんやりとその様子を目に映しながら彼を見つめる。リヴァイは視線に気づいているはずだが、こちらを見遣ることはなく、黙々と手を動かしている。
優しい言葉をかけるわけでも、突き放すわけでもない。この男の無言の優しさを私はよく知っていた。
普段はあんなに粗暴で容赦がなくて無愛想なのに、どうしてこんなにも人の心に触れることが上手いのだろう。
だから私はこの男に甘えてしまうのだ。
「それなら俺もそうだな」
「え?」
リヴァイから零れた言葉に、私は思わず首を傾げる。すると彼はこちらを一瞥して続けた。
「訓練中、お前が喰われそうになる瞬間が頭を過ぎると、ブレードを握る手に余計な力が入りやがる」
私は口を半開きにしたまま、目の前の男の姿を眺めていた。
驚いた。彼の口からそんな言葉が出るなんて。
まじまじと眺めていると、その視線から逃げるようにすぐに背を向けた。
つまり、リヴァイもあの時は私が死ぬんじゃないかと心配したということだろうか。
彼がそんな素振りを見せたことは一度だってなかったから、俄かには信じられない気持ちだったが、同時に嬉しさも込み上げてきた。
ふふ、と堪えきれずに笑い声を漏らすと、リヴァイは眉をひそめながらこちらを振り返った。
「なに笑ってやがる」
「ううん。なんでもない」
笑いを含んだ声のまま答えるとリヴァイは小さく舌打ちをした。その仕草が照れ隠しのように見えて、さらに笑みを深めた。
淀みなく動くリヴァイの手元を眺めながら、彼が時おり見せる優しさの欠片をそっと拾い上げる。その一つ一つを忘れないでいたいと思いながら。
立ち込める甘い香りに、そういえば何を淹れているのかまだ聞いていなかったことを思い出した。リヴァイのことだから紅茶だろうとは思うが。
やがてリヴァイはこちらを振り返ると、湯気の立つカップを私の前に差し出した。
「ほら」
短い言葉に促されるようにそっとカップを持ち上げると、甘い果実の芳しい香りが鼻腔を擽る。その匂いに誘われ、そっと口に運ぶ。一口嚥下すると果実由来の甘みと少しの苦味が口内に広がり、温かい液体はするりと喉を通り胃に収まっていった。
「美味しい」
ほうと息を吐き出しそう呟くと、リヴァイが微かに笑んだような気がした。「そうか」とだけ返して、彼は自分のグラスに酒を注ぐと椅子を引き腰を下ろした。
「これ、何? 紅茶じゃないよね?」
「カモミール」
銘柄のみ簡潔に告げられる。特に説明もないままリヴァイは自分のグラスを一気にあおる。香りに誘われるように二口目を含み、喉に流してゆっくりと息を吐き出す。身体の奥底から温められるような感覚が心地良い。
隣り合ったまま、私たちはしばらくの間黙っていた。沈黙を重苦しいと感じないのは、彼と過ごしていればよくあることだ。隣にいると空気のような自然さでその存在を受け入れることができる。
私が彼をそういう風に感じるようになったのと同じように、彼もまた同じ気持ちでいてくれればいいと思う。
しばらくしてカモミールティーのおかげか気分が落ち着いてきた頃、リヴァイがぽつりと言った。
「それ飲んだら寝ろ」
「ふふ、心配してくれてるの?」
「うるせえな。とっとと飲め」
言いながら彼は席を立ち、空のグラスを持って流しの方へ歩き出した。くすり、と思わず笑いが洩れる。言葉に反して口調も仕草も柔らかさを感じる。
緩んだ頬のまま再びカモミールティーを口に含んだ。穏やかな香りと共に身体から力が抜けて、温かい気持ちが満ちてくる。
「やっぱり、これ美味しいね」
最後の一滴まで飲み干す。
リヴァイは音もなく近づいてきて、私の手からカップを抜き取ると顔を近付けてきた。
そのまま軽く唇が触れ合う。目を閉じる暇もなく、じっと彼を見つめているとゆっくりと唇が離れていく。
「まだ眠れねえっつーなら、添い寝してやるが」
至近距離で視線が交錯する。リヴァイは表情を変えずにじっとこちらの様子を観察している。
答えを待つように。
言葉の中身とは裏腹に、真剣な眼差しは私の心を見透かすように凪いでいる。
「どうする」
私の答えなど聞かずとも知っているくせに。
意地悪な笑みを唇に乗せながら、彼は私に選択を委ねる。
いつだってこの男は私に言わせたがるのだ。
悔しく思いながらも抗えずにいる自分を恥じるように、リヴァイのクラバットをぐい、と引っ張って自分からその唇を塞いだ。
「早く部屋へ連れてって」
余計なことを考える隙間をなくして欲しい。
悪夢も恐怖も感じなくていいように、あなたの温もりと心音で私の五感全てを支配して。
縋るように彼の瞳を見つめた。
「仰せの通りに」
そう言ってリヴァイは私の手を取った。彼の手のひらの温かさが、じんわりと伝わってくる。
立ち上がると、厨房の灯りを消して、二人で静かな廊下を歩き出した。
月明かりが窓から差し込んで私たちの影を長く伸ばしている。
そうして私は彼の掌に導かれるまま、再び深い闇へと身を委ねた。
この手の温もりがあれば、きっと今夜は眠れる気がした。