一部リライトしました。
大晦日といえば、家族揃ってこたつに入り年末恒例の歌番組を見ながら笑ったり、お菓子をつまんだりして過ごすのが毎年の風物詩だった。テレビの画面に映るカラフルな照明や盛り上がる歓声が賑やかな夜の象徴となり、年越しそばの香りが家中に広がる。
元旦には、家族全員で初詣に出かけ冷たい空気の中でお参りをしながら新しい年の希望を胸に抱く。それが、私にとっての「当たり前」だった。
しかし、大学進学をきっかけに一人暮らしが始まり、あの温かな風景からは遠ざかってしまった。小さなアパートの部屋で過ごす年末はどこか味気ない。加えてアルバイトが増え、サービス業だから大晦日も特に変わることなく仕事がある。お店には次々と客が訪れ、笑顔で対応するうちに時間が過ぎていく。
実家で過ごす家族の姿を思い浮かべるがその光景はまるで別の世界のもののように感じられた。
ここ三年、実家に帰るのは三が日が過ぎてからになってしまった。今年も同じように大晦日の夜、十時にバイトを終え冷え込む夜道を一人で歩く。店から出た瞬間、冷たい風が頬を刺し暗い夜空にはわずかに雪が舞っている。
いつもの帰り道、見慣れた街並み、変わらない景色。けれど、今日はどこか違う気がした。ふと立ち止まり、空を見上げると、白い小さな雪の粒がちらちらと舞い落ち、静かに地面に消えていく。
そういえば、ニュースで大寒波が来るって言っていたっけ……。
思い返しながら、肩をすくめて歩を進める。私が住んでいるアパートは住宅街の中にあり、普段から人通りが少ないけれど今日は特に静寂が深い。見渡しても、周囲には誰一人いない。車の音もなく、街全体が眠りについているような静けさが広がっている。
静かだな。
この寒々しい静寂が、心の中に孤独を忍び込ませる。
ふと思う。今ごろ、みんなは家族や大切な人たちと一緒に過ごしているのだろうか。その考えが胸の奥にじんわりと広がり、この夜の冷たさが自分の心にまで入り込んでくるような気がした。
まるで取り残されたような気分になる。何も言わずにこの寒さに耐え続けるのは、少しだけ心が痛んだ。
温かいものでも食べよううと思い立ち、少しでも心が和むように、近くのコンビニへ足を向けた。
***
自動ドアが開き、店内の暖かい空気が迎え入れてくれる。少し緊張が解けたような気がして、ホットドリンクのコーナーへと歩みを進める。一息ついてから、手に取ったのは熱々のミルクティー。手に触れる温かさがじんわりと冷えた指先を包み込んでくれる。
心がほっと緩み、次にお弁当コーナーへ向かおうとしたその時、不意に視界の端に見知った顔が映る。
「風間くん?」
私が声をかけると、彼もこちらを見てそれから軽く手を挙げた。その仕草はどこか控えめで、でも彼らしい無駄のない動きだった。どうやら同じタイミングで買い出しに来ていたらしい。
風間蒼也くん――高校時代、三年間同じクラスで過ごし、私にとっては数少ない男友達の一人だ。
「偶然だね! 風間くんも買い物?」
声が自然と明るくなる。知ってる人に会ったことで、少しだけ寒さが和らいだ気がした。
「ああ。ちょっと腹が減ってな」
風間くんはいつもと変わらず、落ち着いた声で答える。
「相変わらずよく食べるね」
軽く冗談を言うと、彼は少し微笑んで「育ち盛りだからな」と応えた。彼の口調は変わらないけれど、その一言にどこか温かみを感じた。
「苗字は出かけてたのか?」
「うん、バイト行ってたの。お腹すいたし夜ご飯買おうかと思って」
「大晦日だし忙しかっただろう」
「まぁそれなりにね」
そんな何気ない会話をしながら、二人でレジへと向かう。会計を済ませて外に出ると、いつの間にか雪が先ほどよりも強くなっていた。
「うわ……さっきより降ってない?」
夜の闇に白い雪が一層際立ち、ふわふわと舞いながら地面に吸い込まれていく。冷たい空気が肺に入り込み、自然と肩をすぼめた。
「天気予報だと明日の朝まで降るらしい」
「ええ……」
朝起きたら、一面が銀世界になっていたらどうしよう。そんな景色を想像すると、寒さがさらに身に染みる。雪の重みに包まれた街並みが頭に浮かび、思わず身震いした。
「そうだ。家まで送る」
「え?」
突然の申し出に、思わず彼の顔を凝視する。
「いや、そんな悪いよ。家近いし大丈夫」
慌てて遠慮するが、彼は気にも留めずに続けた。
「もう夜遅いし、女性一人で帰らせるわけにはいかないだろう」
風間くんは少し眉をひそめる。それはまるで怒っているようにも見えたけれど、その眼差しは優しいものだった。
「でも、帰るの遅くなっちゃうよ」
「構わない。どうせ帰っても一人だしな」
そう言って彼は歩き出す。その背中がなんだかいつもより大きく見えた気がして、私は追いかけるしかなかった。
***
雪が降り続ける静かな夜道、私たちの足音だけがその空間に響いていた。冷たい空気が頬を刺すけれど、隣を歩く彼の存在にどこか心が落ち着く。
「そういえば、帰省はしないのか?」
ふいに、風間くんが尋ねてきた。足元に視線を落としながら、淡々と答える。
「うん。年末年始はバイト入れてるしね。大学入ってからは、正月過ぎてから帰ってる」
「親御さん心配しないか?」
「全然。連絡はよく取り合ってるし、大丈夫だよ」
笑ってみせると、風間くんも微かに表情を緩めたように見えた。
「そういう風間くんこそ実家に帰らないの?」
「ああ。ボーダーの仕事が入っているから俺も帰らないな」
「そっか。お互い忙しいね」
「そうだな」
そう相槌を打つ彼の声は優しい響きを帯びていた。その声色に、自然と心が和らぐのを感じる。
風間くんはボーダーという組織でA級隊員として働いている。三門市を守る防衛機関で彼は日夜戦いに身を投じている。私はボーダーという組織を深く知っているわけではなかったけれど、彼が日々身を粉にして戦っていることは知っていた。風間くんは多くを語らないし態度にもあまり出さないから、あくまで想像の範囲ではあるけれど。きっと彼はボーダーの中でも相当な実力者なのだろうと思う。そんな風間くんに守られながらこの街の人々は生活しているのだと思うと、頭が下がる思いだ。
「風間くんって、ほんとすごいよね」
「……どういう意味だ?」
思わず思ったことが口に出てしまったが、彼はそれを不思議そうに見つめている。慌てて取り繕うように言葉を継いだ。
「いや、なんていうか、すごく頑張ってるなあと思ってさ。ボーターの仕事とか」
そう言うと、彼は少し考え込んだ後ゆっくりと口を開く。
「頑張っているのは苗字もだろ」
「え?」
予想外の返答に、思わず聞き返してしまう。彼は前を向いたまま言葉を続けた。
「苗字も自分のことをちゃんとやってるじゃないか。大学に通って、バイトもして。誰かがすごいとかじゃなくて、みんなそれぞれの場所で頑張っている。だから、苗字もすごい」
その口調は決して押し付けがましくなく、ただ淡々と事実を述べているようだった。でもその言葉一つ一つに確かな温かみを感じて胸の奥がじんわりと温かくなる。
無言のままでいる私を見て、彼は少し申し訳なさそうな顔をした。
「悪い、何か気を悪くさせたか?」
「えっ、違うよ! そういうわけじゃないの。ちょっと嬉しくて」
慌てて否定すると彼は少し首を傾げた。
「……風間くんにそう言ってもらえるなんて思わなかったから。でもそうだよね、私もちゃんと頑張ってるよね。なんか元気出た」
そう言って笑いかけると、風間くんも少し口元を緩めて応えてくれた。歩き続けるうちに、見慣れたアパートが視界に入る。
アパートが近づくにつれて、自分の家に帰るのが少しだけ名残惜しく感じた。
「風間くんありがとうね」
玄関の前まで来て、改めてお礼を言う。彼は小さく頷いて応えてくれた。
「じゃあ。また大学でな」
「あ、風間くん、ちょっと待って!」
彼が去ろうとする背中を見た瞬間、思わず声をかけていた。冷たい夜風が吹き抜ける中、その背中が遠ざかるのが急に寂しく感じたからだろうか。
私の声に、一瞬振り返り驚いたように眉をひそめる。勢いのまま彼の腕を軽く掴み足を止めさせた。冷たい手が彼の腕に触れた瞬間、自分でも少し大胆なことをしていると気づくけれど止めることはできなかった。
「おい、どうしたんだ?」
風間くんの戸惑った声が耳に届くけれど、構わずそのまま玄関の鍵を開ける。夜の静寂を破るかのように鍵の音が響き、玄関のドアがゆっくりと開くと冷たい空気が家の中に流れ込む。風間くんは驚いた様子でこちらを見ていたが、それに気づかないふりをして彼を玄関の中へと引っ張った。
「一分! 一分だけ待ってて!」
急いで玄関に彼を残したまま部屋へ駆け込む。足早にキッチンへ向かいレジ袋を手早く漁る。部屋の中はほのかに暖かく外の寒さとは対照的だ。暖かさがほんの少し落ち着きを与えてくれるけれど心の中はまだざわついていた。急かされるような感覚に突き動かされながら電子レンジの扉を開け、目当てのものを入れる。操作ボタンを押して静かな部屋に電子レンジの低い音が響く。
ふと、先ほどの風間くんの表情が脳裏に浮かぶ。普段は冷静で何事にも動じなさそうな風間くんが、まるで子供のように驚いていた。
ちょっと強引だったかな……。
そう思いながらも、心の中に小さな笑みが広がる。彼の驚いた表情が頭から離れない。普段クールで冷静な風間くんが、少し戸惑っている姿を見るのはなんだか新鮮で愛おしくさえ思える。心の中でほんの少しだけ反省しつつも、どこか楽しんでいる自分に気づいた。
***
「はい、これ。よかったら食べて」
「これは……肉まんか?」
急いで玄関に戻り、ほんのり湯気を立てる肉まんを風間くんに差し出した。寒い夜に漂う温かい香りが、冷たい空気の中にふわりと広がる。風間くんは驚いたように目を丸くし私の顔と肉まんを交互に見つめた。
「うん、さっき買ったんだけど、ちょっと冷えてたから温め直してきたんだ」
「自分で食べるつもりだったんだろう。いいのか?」
「いやいや、寒い中送ってくれたお礼だから。気にしないで」
風間くんは少しだけ考え込んだ後、「悪いな」と言いながらそっと受け取る。その口元はわずかに緩んでいた。
「うん、ぜひ召し上がれ」
私がそう言うと、風間くんは肉まんの入った袋を少し見つめた後、ふっと小さく笑った。
「どうしたの?」
不思議そうに尋ねると風間くんは少し口元を緩め、肩を軽くすくめながら答えた。
「いや、……家に連れ込まれたのかと思った」
冗談めかした言葉に思わず固まってしまった。頬に熱が広がっていくのを感じて、一瞬にして自分の顔が赤くなったのがわかる。
「えっ、そんなつもりじゃ……!」
慌てて口を開くが、言葉が上手く出てこない。何をどう説明すれば良いのかもわからないまま、ただ弁解しようとしている自分がもどかしかった。心の中で焦りがどんどん膨らんでいく。
しかし、風間くんはそんな私の動揺を楽しむかのように、軽く手を振って言葉を遮った。
「わかってる」
その言葉とともに、風間くんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。目が少しだけ細まり普段のクールな表情からは想像もつかないような柔らかい雰囲気が漂う。
「だが、次からは気を付けるんだな」
風間くんの言葉に私は首をかしげた。どういう意味だろうと考えると、彼は少し苦笑しながら言葉を続けた。
「一人暮らしの女性の家に男を引き入れるのはよくない」
その一言に、はっとして自分の行動を思い返す。確かにいきなり彼を玄関に引き込んだのは不用意だったかもしれない。今さら自分の大胆さに気づいて急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
風間くんは至極真っ当なことを言っただけなのに、その一言が胸に刺さる。私の内心の動揺を見抜いたのか、風間くんは少し意地悪そうに微笑みさらに追い打ちをかけてきた。
「まあ、俺としてはこのまま上がり込んでもよかったが」
「えっ?」
心臓が一瞬止まりそうになり、息をするのも忘れてしまったような気がする。そんな私の反応を楽しんでいるかのように、風間くんはすぐに言葉を続けた。
「冗談だ」
「……」
風間くんも冗談とか言うんだ。心臓に悪い……。
彼の一言で一喜一憂する自分が情けないけれど、それでも振り回されてしまう。
体がどんどん熱くなっているのを感じて、思わず手で顔を仰いで冷やそうとした。顔に集まる熱を何とか鎮めたくて、息を大きく吸い込み風間くんに向き直る。
「もう、からかわないでよ」
口を尖らせると、風間くんはふっと笑った。その笑顔が少しだけ柔らかく、普段の冷静さからは想像できないほど温かいものだった。彼は手に持っていた肉まんの袋を軽く持ち上げて見せ、再び優しい眼差しをこちらに向ける。
「ありがたくいただく」
ドアノブにそっと手を伸ばし、扉をわずかに開けると冷たい夜風がまた玄関に吹き込んできた。風間くんは一瞬立ち止まり、最後に振り返って私に静かに声をかけた。
「苗字。来年もよろしくな」
その一言が、まるで私の心の奥底まで染み渡りそっと溶かしていくようだった。何気ない言葉なのに、風間くんはいつだって、そんな風に私の心を優しく温めてくれる。気づいた瞬間、胸の奥にじわりと熱が広がりじっとしていられなくなる。
深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。寒さが身に染みるはずの空気が、その時だけは不思議と温かく、優しく私を包み込んでいるように感じた。
「こちらこそ、来年もよろしくね。良いお年を!」
風間くんは少しだけ笑みを浮かべ、軽く頷いた。そして、静かに扉を閉める。扉が閉まると同時に、再び外の世界は静寂に包まれた。冷たい風が吹き込んできたけれど、私の心は不思議と穏やかだった。あの短い時間に見えた風間くんの新しい一面が嬉しくて、心の中で何かが優しく弾けたような感覚が広がっていく。
彼の後ろ姿が視界から消えた後もしばらくその場から動けずにいた。そして、心の中で彼のことを思い出すたび、胸の奥がくすぐったくて自然と笑みがこぼれてしまう。
時計を見ると、もうすぐ年が明ける時間だ。それまで感じていた寂しさはすっかり消え去り、心の中には温かな感情だけが残っていた。