※大学生1年生設定
※夢主の苗字は清水で固定
2022年発行の合同誌書き下ろし小説です。再録に際してリライトしてます。
透き通った青空は、秋の訪れを予感させるように爽やかで清々しかった。夏の終わりの残暑がようやく和らぎ始め、朝夕の空気には涼しさが漂う。そろそろ半袖では肌寒く感じ始める頃合いだった。街路樹の葉も少しずつ色づき始め、季節の移ろいを静かに告げている。
「ふわぁ……」
大きく口を開けて欠伸をしながら、清水名前はいつも通りの通学路をのんびりと歩いていた。大学に入学して初めての試験期間と長い夏休みを終え、後期授業が始まったばかり。ようやく学生らしい日常のリズムに戻りつつあったが、まだ身体が慣れていないのか、どこかぼんやりとした気分が抜けない。
肩まで伸びたストレートの黒髪が朝の風に軽やかに揺れ、少し垂れた眠そうな瞳が前方を捉えている。その目元には薄くクマができており、昨夜遅くまで起きていたことが窺えた。だが本人はそんなことなど気にも留めず、ぼんやりとした表情のまま歩き続けている。
今日の講義は一限目からある。決して余裕のある時間ではないのだが、朝特有の気怠さのせいで足取りは重く、普段より遅いペースでの歩行を余儀なくされていた。眠気覚ましのために買った缶コーヒーは既に空っぽになっており、その効果のほどは疑わしい。
飲み干した空き缶を捨てようと、道端にあったゴミ箱へと手を伸ばす。その時、視界の端に見覚えのある人影が映り込んだ。金髪に刈り上げ頭という特徴的な髪型をしている男性は、間違いなく同じ大学の一年生で友人の諏訪洸太郎だった。
「諏訪!」
名前を呼ぶと、彼は名前の存在に気付いたのか、軽く手を上げて応えた。そして大股で名前の方へと歩み寄ってくる。朝陽を背に受けた彼の輪郭がくっきりと浮かび上がり、いつもより少しだけ大人っぽく見えた。
「おはよ~」
眠気が残っていたせいなのか、普段よりも気怠げで抑揚のない挨拶になってしまった。しかし諏訪は特に気にする様子もなく、「おう」とだけ言って自然に名前の隣に並ぶ。
二人は学科こそ違うものの同じ学部に所属しているため、必修科目の講義は重なることが多い。今日の一限目も例に漏れず同じ授業だった。偶然の一致と言えばそれまでだが、こうして一緒に登校できるのは悪くない。
「眠そうだな」
「まあね」
「お前の場合、夜更かしとか関係なく常に眠そうだけどな」
「うっさい」
軽口を叩きながら二人は並んで歩いていく。特に深い話をするわけでもないが、お互いに居心地の悪さを感じているような雰囲気は微塵もない。静寂すら心地よく感じられる、それが二人の関係性を如実に表していた。
中学校時代からの付き合いで、高校、そして大学と続いてきた腐れ縁とも言える仲。お互いの良いところも悪いところも熟知しているため、変に遠慮することもない。当たり前のように隣を歩き、当たり前のように言葉を交わす。彼らにとってはごく自然なことだった。
名前が小さく欠伸をするたびに、諏訪は呆れたように苦笑を浮かべる。
「また徹夜でもしたのか?」
「ん? うん。ちょっとね」
曖昧に返事をした名前に、諏訪は僅かに眉根を寄せた。彼女の生活パターンを把握しているため、徹夜をした理由なんて容易に想像がつく。どうせまた本を読み耽っていたのだろう。彼女は昔から自分の興味のあることに熱中すると、他のことを疎かにしてしまう癖があった。
趣味に没頭すること自体は悪いことではないが、体調を崩してしまっては元も子もない。そのため諏訪は折に触れて彼女に小言を言うことがあったが、注意されたところで生活習慣を改めようとしないのだから困ったものだ。
彼女が徹夜をして体調を崩すのは自己責任だとわかってはいるが、それでもやはり心配になってしまう。しかしそれを素直に口にすると調子に乗るだろうから、あえて言わないでいるのだが。
今回もまた忠告をするつもりだったが、タイミング悪く大学の正門が見えてしまったため断念せざるを得なかった。代わりに小さな溜息と共に呟く。
「本当にお前は……」
「何?」
きょとんとした顔を向ける名前を見て、思わず言葉を飲み込んでしまう。まったく自覚がないのだろうか。いや、間違いなくないんだろうな、と心の中で独り言ちる。しかしすぐに気を取り直し、なんでもないと首を振った。
「それより、今日授業のあと暇か?」
唐突な問いかけだったにも関わらず、名前は悩むことなく即座に答える。
「暇だよー。どうしたの?」
「本屋行かねえ? 新刊チェックしたい」
「おっけー」
二つ返事で了承する彼女を見て、諏訪は満足げに微笑んだ。これもまた、いつもの流れだった。
***
名前と諏訪の関係は、恋人同士ではない。しかしただの友人というには距離感が近すぎる、微妙な立ち位置にある関係だった。この曖昧な距離感は彼らが大学生になった今でも変わることなく続いている。
二人が出会ったのは中学一年生の春だった。入学当初から同じクラスで、出席番号順の関係で座席が前後になったことがきっかけ。最初は挨拶を交わす程度の関係だったが、たまたま諏訪が読んでいた小説を名前が興味深そうに眺めていたことから、お互いの読書趣味について知ることになった。
そこから二人は急速に仲を深めていき、今では何でも言い合える関係となっている。周囲からは付き合っていると思われることもしばしばだが、本人たちは否定している。傍から見れば完全にカップルのような雰囲気を醸し出していることには、あえて気付かないふりをしていた。
ちなみにお互いを異性として意識していないわけではない。しかし今の心地よい関係性を崩してしまうリスクを考えると、なかなか一歩を踏み出せずにいるのが現状だった。
講義を終え、名前と共に大学を後にした諏訪は、約束通り駅前の大型書店へと足を向けた。自動ドアをくぐると、紙とインクの混じった独特の香りが鼻腔をくすぐる。店内を見渡すと、所狭しと並べられた書籍の数々が目に飛び込んできた。
普段からよく利用している馴染みの書店ではあるが、改めて見ると品揃えの豊富さに感心させられる。平日の午後ということもあり、学生らしき若い客の姿も多く見受けられた。
平積みされた文庫本のコーナーを通り過ぎ、新刊が陳列されている棚の前で足を止める。そこには話題の作品や注目の新人作家の作品が整然と並べられていた。諏訪はその中から一冊を慎重に手に取り、パラパラとページを捲り始める。
彼が手にしたのは、とある推理小説シリーズの最新刊だった。このシリーズの大ファンである諏訪は、新刊が出るたびに必ずチェックすることを欠かさない。待ちに待った新作を手にした彼は、まるで宝物を扱うかのように丁寧に表紙を撫でた。
その時、何となく視線を感じて隣を見ると、名前がじっとこちらの様子を観察していることに気付く。どこか微笑ましそうな表情で見つめられていることに気付いた諏訪は、急に恥ずかしくなって顔を逸らした。
「……なんだよ」
見られていたことに動揺した諏訪がバツの悪そうに問いかけると、名前はどこか嬉しそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「変わらないなーって思って」
「あ?」
「そういうところ」
そう言ってクスリと微笑む名前。諏訪は一瞬面食らったような表情を見せたが、すぐに眉間にシワを寄せて不機嫌そうに舌打ちをした。どうやら照れ隠しらしい。
見た目はすっかり大学生らしく大人びたが、好きなものを前にした時の反応は中学時代と何ひとつ変わっていない。そのギャップがおかしくて、つい笑みが零れてしまう。すると諏訪は誤魔化すように軽く咳払いをした。
「会計済ませてくる」
ぶっきらぼうに告げると、彼は足早にレジの方へと向かっていく。その慌てた様子を見送りながら、名前は口元に手を当ててクスクスと小さく笑い声を上げた。その笑みは先ほどよりもずっと深く、愛情に満ちたものだった。
諏訪は昔からこうなのだ。好きな本を見つけると目を輝かせ、まるで子供のように純粋で分かりやすい反応を見せる。その姿を目にするたび、名前の胸には温かい感情が込み上げてきて、自然と笑顔になってしまうのだった。今も昔も変わらない、名前が最も愛おしく思う諏訪の一面だった。
会計を済ませて諏訪が戻ってくるまでの間、名前は適当に目についた本のタイトルを眺めて時間を潰していた。すると後ろから声をかけられる。
「清水さん?」
突然名前を呼ばれて振り向くと、そこには同じ学科の男子学生が立っていた。名前は確か……。
「久野くん」
記憶を辿りながら名前を口にすると、相手は少し驚いたように目を見開いた。そしてすぐに嬉しそうに首を縦に振る。
「そう! 久野翔平!」
彼は人懐っこい笑顔を浮かべた。爽やかで清潔感のある雰囲気が印象的だ。名前もつられて笑顔を返す。同じ学科でグループワークを行うことがあるため、顔見知り程度の関係ではあったが、こうして二人で話すのは初めてだった。
背が高く、短く整えられた黒髪と清潔感のある風貌。やや垂れ気味の優しそうな瞳がどこか甘い印象を与える。きっと女子学生の間でも人気が高いタイプなのだろう、と名前は思った。
「清水さんも本を買いに?」
「私は付き添いで。久野くんは?」
「俺は漫画の新刊を買いに」
そう言って手に持っていた本を掲げて見せる。名前はそれを見つめながら「あっ」と小さく声を上げた。
「その漫画、私も読んでる」
「えっ、マジ!?」
思いも寄らない言葉だったのか、彼は大袈裟に反応した。名前はコクリと首を縦に振る。彼が手にしているのは青年誌で連載されている作品で、独特の世界観が話題を呼んでいる作品だった。
「実写化も決まったよね」
「そうそう! 楽しみだよな!」
名前が話しかけると、久野もまた嬉しそうに返事をした。二人はそのまま作品の感想を語り合い始める。お互いのお気に入りのシーンについて熱弁していると、諏訪がこちらに向かって歩いてくるのが視界の端に映った。
名前がそちらに意識を向けると、つられるようにして久野も諏訪の方へ視線を向ける。
「あ、彼氏さんと来てたんだ」
諏訪と目が合った瞬間、久野は察したような様子で口を開いた。
「ううん、彼氏じゃないよ」
名前は苦笑いを浮かべながら否定の言葉を述べた。しかし久野はそれを聞くと、不思議そうに眉を寄せる。
「え? 一緒にいるのをよく見かけるから、てっきり……」
「あはは。中学からの腐れ縁って感じの関係で」
名前の言葉に嘘はなかった。実際に二人の間には恋人同士のような甘い雰囲気はない。友人としては距離感が近すぎるという自覚はあるが、当人たちにとってはそれが当たり前という認識だった。
久野は納得したように何度か首を縦に振ると、どこか興味深そうな表情で諏訪に視線を向けた。ちょうどその時、諏訪がこちらに到着し、三人の視線が交錯する。
諏訪は一瞬動きを止めると、軽く会釈して名前の隣に自然に立った。久野もまた丁寧に頭を下げる。
それから名前に向き直ると、久野はニッコリと人懐っこい笑顔を浮かべて口を開いた。
「じゃあ俺、行くよ」
「あ、うん。また大学で」
久野はひらりと手を振ってその場を後にした。その後ろ姿を眺めていると、諏訪が横から覗き込むように名前の顔を伺ってきた。
「誰だ?」
「同じ学科の久野くん」
諏訪は「ああ」と呟きながら先ほどの人物のことを思い出そうとする。そして「ふーん」と相槌を打つと、すぐに視線を正面に戻して歩き出した。
「なに? どうかした?」
諏訪の歩幅に合わせて小走りで隣に並ぶと、名前は首を傾げながら問いかけた。すると彼は面倒臭そうに後頭部を掻く。
「随分楽しそうに話してたなと思って」
「え?」
「お前、ああいうのがタイプなのか?」
久野の話題だと理解すると、名前は納得したように声を上げた。確かに久野とは共通の趣味の話で盛り上がり会話が弾んでいた。けれどそれだけのことだ。
「まともに話したのって今日が初めてなんだけど」
名前はそう言うと、少し困惑気味に笑みを浮かべる。久野の人懐っこい性格もあって話しやすく、親しみやすい人柄だと感じた。しかしそれはあくまで同じ趣味を持つ者同士としての親近感。彼の人となりに特別な興味を抱いたわけでもなければ、恋愛感情を抱いたわけでもない。
「そうなのか?」
「そうだよ。だからタイプかどうか聞かれても分からない」
名前の反応を見た諏訪は、フッと小さく息を漏らした。その口元には薄らと安堵したような笑みが浮かんでおり、どことなく嬉しそうな雰囲気を漂わせている。
そんな彼の横顔を見つめながら、名前は先ほどから感じていた違和感の正体を理解した。
今まで諏訪がこういったことを気にして口にしたことはなかった。それが何故今日に限って、やけに他の男性との関係を気にしているように感じるのだろう。
***
書店を出ると、空は夕陽に染まり始めており、歩道沿いに植えられた街路樹が長い影を地面に落としていた。風が吹くたびに葉が音を立てて揺れ、爽やかな音色が耳を通り抜けていく。もうじき夜の帳が降りることを静かに告げていた。
駅前の大きな交差点に到着すると、二人は信号待ちのために足を止めた。帰宅途中の人々が集まり、ざわめきが辺りに広がる。歩行者用信号機を見上げながら、名前はチラリと隣の諏訪に視線を向けた。すると視線に気付いたのか、諏訪も彼女の方へと顔を向ける。
「さっきの話だけど」
「あ?」
視線が交わると同時に唐突に口を開くと、諏訪は警戒するような声を発した。名前は思わずクスリと笑う。
「ひょっとして、妬いてた?」
悪戯っぽい口調で質問を投げかけると、諏訪は僅かに目を細めた。図星だったのか、それとも的外れだったのか。表情からは判断しかねたが、動揺している様子は伝わってきた。
「心配しなくても、私は諏訪一筋だから」
「は!?」
諏訪が驚愕の表情で声を上げると同時に、歩行者用信号機が青に変わった。名前は口元に弧を描くような微笑みを浮かべると、真っ赤になった彼を置いて足早に横断歩道を渡り始める。
慌てて追いかけてくる諏訪の足音を背中で感じながら、名前はそっと自分の胸に手を当てた。心臓が激しく鼓動を打ち、全身を巡る血液が熱を帯びているのが分かる。頬は自然と緩み、止まらない笑みが込み上げてくる。
今の言葉は半分本気で、半分は彼をからかうつもりだった。しかし口にした瞬間、それが本心であることを改めて実感した。中学時代から変わらぬ想いが、確かに胸の奥で脈打っている。
腕を掴まれるまで、あと──